昭和30年代の森下屋
昭和30年代の森下屋

大正時代に立てられたお店、古~いお店です。
ちょっと古すぎて、まわりから浮いている感じですけど。
戦前の火災で、一帯が焼け野原になった時も、どういうわけか、この店だけ残ったと言われています。

お店には大正時代のものは、もう置いてありません。
二十年位前のものなら置いてあるかもしれません。

数年前に行った時には、近鉄バッファローズの帽子が置いて有りました。
二階の物置の中には、まだ有るかもしれません。
店の二階の柱は、大正時代のままです。

掛け軸の後ろに穴が有って防空壕に通じていたなどと子供の遊び場の思い出となる舞台です。

田舎では、隣近所の苗字がみんな同じなどと言うことがよく有ります。
屋号で呼ばれていたお店や子供、ほんとの苗字は知らないままと言うことも。

屋号の由来をたどって見ると、小見川の歴史散歩をしているようでした。
=> 森下屋の由来で歴史散歩

変化の激しい時代でも、それほどお店の業態は変わりませんでした。
お店としては、足袋屋で開店し、戦後扱いが洋品に拡大していっただけです。

=> 足袋の思い出とタビオ
=> 制服の思い出
=> ネクタイ・ブランド品の思い出

森下屋洋品店の特徴

本町通り商店街の一角の仲町に有ります。
流行を追わない、最近少なくなった技術一辺倒のお店です。
店主の愛想はあまり良く有りませんが、商品の出来には関係アリマセンからある程度は人気でした。

直しなどの注文が、口コミで良く入るお店でした。
洋品の値段もそこそこ安いので、何処で買っても同じの日常の洋品は、ついでに買われていたようです。
なにぶん、古くからのお店なので、地元の知名度は有りましたので、なじみ客が、多い事も特徴でした。

このお店が唯一賑わう時期が有りました。
それはお祭りの季節。
特に夏祭りの直前は、お揃いの祭り衣装の作成や直しに、足袋などの祭り小物の仕入れに、大忙しとなります。

そんな森下屋洋品店も、令和の時代になり幕を閉じました。
直接的な原因は、生地を仕入れている問屋がみんな閉まってしまった事のようです。
新たなチャレンジをする気を無くしたのは、跡を継ぐものがいなかったのも要因のようです。

制度の崩壊は、アパレル関連を中心に大きく広がっていて、商店街衰退が加速している感じがします。
いつまでも続いてほしい小見川祇園祭ですが、、、

昭和の思い出の一コマは、
=> あなたが選ぶ昭和の小見川祇園祭

小見川祗園祭の今は、ふるさと小見川の魅力再発見 の
=> 夏祭り(小見川祇園祭) で

祭りの衣装

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本当は、各町内毎に衣装の模様が異なります。
(足袋などの小物は、どこでも同じですが)
見学に来た人達がちょっと参加すると、いろいろな服装になります。
手拭い鉢巻だけお印で、半纏だけ借りて、まあ半纏を着るだけで祭りの格好は付きますが。

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昭和48年仲町の祇園祭衣装

小見川祇園祭の衣装

夏祭りをより楽しむ為には、夏祭りの衣装を一通り揃えて、参加者意識を高める手が有ります。
年番の時には、一斉に夏祭りの衣装を新調したものでした。

上半身は、
鯉口シャツ:下着で、各町内で模様を合わせてある
腹掛:シャツの上に着用、ポケットが付きで物が入れられ便利
手拭い:捻り鉢巻にしたり、汗とりとして首にかけたり、陽射しよけに被ったり

下半身は、
股引:いわゆるモモヒキで、鯉口シャツと模様を合わせる
または、半股:ショートパンツで、女性で使う人がいる。
白の祭足袋:ちゃんと引いていると痛みが激しい。
汗でグシャグシャになるので連日曳く時は換えも必要。