このサイトの記事にも、たびたび登場していたみっちゃんが2022年2月がんで亡くなりました。
2020年の年賀状で、治りにくい風邪に罹ったと言っていたので、その頃からだったのでしょう。

2022年の年賀状の返信が、末期がんで入院しているというものでした。

春まで待ってくれたら、いろいろな思いが籠っている那須に連れて行こうと、
病院から取り返してくるからお金を用意しておくよう妻に言ったら、みっちゃんの家族のことも考えなさいと叱られてしまった。

自然療法からスピリチャルまで、もがき続ける私の習性が見透かされて、運命とあきらめることも必要と諭された。

面会はできないがLINEならということで何回か話をした。
この思い出広場を見てもらっていたら、自転車に二人で乗っていた写真が有るといって後日送られてきた。

自転車に乗ったみっちゃんときったん

中学校の部活の思い出を話していたら、気になっていた事があると、、封印してきた苦い思い出が蘇った。

那須の思い出

小学校の低学年のころ、姉が父親と那須旅行に行った。
どうして一緒に連れて行ってくれなかったのか問い詰めると、小さすぎるからと言われた。

確かに父の旅行は寄り道が多いし、きつい日程になる。
夏休みに自転車で15km位の母の実家に行くようになったのもそんなきっかけからだった。

自転車旅行の締めとして80km位の工程の銚子の周遊に家族で出かけた。
途中で猛烈に喉が渇いてコーヒー牛乳が飲みたくなった。

父に牛乳を買ってと頼むと、10km先まで行ったら買ってやると言われた。
10k先に行って騒ぎ出すと、うるさいと言われたがコーヒー牛乳を買ってもらった。
約束は守る親だった。

後に、中学2年3学期から県の学力試験が始まった時、点数が余りに低かったので、父親と50位以内に入って優秀成績者に載ったら転校させてくれるという約束をした。
7月の試験で50位以内に入ってしまった。
約束は?と父を問い詰めるも無視されたので、食事も取らず部屋に籠った。

その時は、もうどうでも良かったのだが、翌日八千代台の叔母の冨沢さんに預かって貰うことに決まったという話を聞かされた。
約束は守る親だった。
田舎で遊び放題だった私の運命も全く違う方向に転がっていくことになった。

小学6年の夏休み那須旅行は決行された。
途中でトラブルを起こされる事を警戒してか、おもり役のみっちゃんと一緒。

上野から夜行で黒磯に早朝付き、始発のバスで板室温泉で温泉につかり朝食をとって、昼食用のおにぎりを作ってもらった。
板室温泉は湯治場になっていて、早朝から自炊の人で賑わっていた。

途中スコールや雷に会いながらも、森林の香りに癒されながら、なん十キロか先の三斗小屋温泉に到着した。
電気もガスも水道も何もない温泉だった。

三斗小屋にて

朝起きると一面の雲海が朝日に眩しく光っている。
三斗小屋温泉は、栃木と福島の境にある那須岳の裏側にあたり、白河から会津に向かう街道が最寄りになる。

三斗小屋温泉までの景色だけが印象に残って、そのあとの那須岳や塩原の馬車や化石見学、大平山参拝といろいろ引きずり廻された記憶はすっかりとんでいた。

那須の話が父から出たのはずっと経ってからだった。
那須に別荘地を持っているという、どうも原野商法のようで、町で何人も購入者がいて一緒に買ったようだ。

みんな早々に手放したらしいが、父は那須に未練が有ったようで手放さずにいたようだ。
ダンス教室のけんちゃん(みっちゃんのお兄さん)も負い目を感じていたのか、那須の別荘地に案内するからと言っていた。
けんちゃんと父が一緒に現地を見に行って気に入って父が購入したようだ。

父がこの別荘地貰ってくれないかと言った時、私は軽く考えて貰ってもいいよと答えていた。
心なしか、父に安堵の表情が見れた感じがした。

兄が登記簿を見せてくれた、白河の近くの西郷村で600m2の別荘地のようだ。

父もけんちゃんも、みっちゃんも亡くなった今も私の口約束は実行されていない。
そのうち那須に供養に行かなければ。

中学校の苦い思い出

理科室にて

みっちゃんが気になっていた事は、県の中学生科学コンテストの話。

夏休みにみっちゃんと小見川の塩害の調査マップを作製していた。
主な田畑を選んで、毎日あぜ道から手製のボーリングで土層を採取し有機分析で塩害調査をした。

部担当の野口先生から、コンテストに応募するからレポートにまとめるよう指示が有った。
気乗りしないながらも出した。

それが大当たりの銀賞受賞となり、千葉での表彰式に出ることになった。
野口先生に私は出たくないと言い張り、代わりの人を選んでくれるようにお願いした。

みっちゃんは、私が当然出るものだと思っていたようで、当日マルエスの小林さんが現れたので何が有ったのかと思ったようだ。
私が行かなかった理由は、受賞に価しないので辞退しようと思ったが、みっちゃんががっかりすると思ったので秘密にしておいた。

実は調査に不正が有ったのだ。
夏の暑い日、うっかり採取した土に採取場所を都度添付するのを忘れた。
半日が過ぎるころ気が付きもう一度やり直すか迷ったが数枚を適当に張って誤魔化す方法を選択した。

夏休みの科学実習としてすぐ忘れ去られるできごとだと思っていたが、受賞となって私の中でもずっとしこりとして残っていた。
この話をみっちゃんに話した時、60年抱えてきたしこりがスッと消えた気がした。

野口先生には無理も言ったが叱られたことも多かった。
部活の予算会議に行ったとき、頑張ってと応援されていい気になって予算を独り占めしてしまった。
そんなにとってきたのと褒められると思いきや、弱い部をそんなにいじめてくるなんて冷たい奴だと叱られた。

数十年後の学年同窓会の時も、思い出せない同級生にストレートに知らないと言って同じように相変わらず冷たい奴だと言われてしまった。
単に記憶が飛んでいただけなのですが、実家に戻ったらO君とそこで良く遊んでいたねと言われ、鉛筆ゲームを作ってはいつも相手になってくれていた同級生を思い出した。